青山学院大学の受験のために実質170日という期間を仕事をしながら勉強し続けた田村淳さん。
このブログでも何度かご紹介しました。
残念ながら、結果は不合格だったようですが、
画面のこちら側で見る限りはすごく頑張られていたし、
私は密かに応援していたんですが、そうは思わない人もいたようです。
田村淳さんのTwitterの返信欄を見るとかなりの数の
などの批判が書かれていました。
途中で気分悪くなったので全部は読んでませんが…
もし、自分がこんな風に書かれたら、と思ったらかなり心が苦しくなりました。
そして、こういう批判を書く人の気持ちというのはどういうものだろうかと考えました。
読んでみると
そういう意図の投稿が多いと思いました。
ああ、きっとちゃんと頑張ろう、と思って頑張ってきた人なんだろうな。
自分がしてきた努力を正当に評価してもらいたい人なのかも知れないな。
そんな風に勝手に想像してみました。
「批判をする」というのは自分を正当化することができる最も簡単な手段です。
一瞬で、自分を正義にできる。
批判したい気持ちには、もしかしたら、「報われない思い」が裏側にあるのかもしれませんね。
そんな人はちょっと頑張りすぎているのかも…。
自分に責任があると思いすぎているのかも…。
批判的な人は頑張りやさんなのかも。
(頑張りやさん=批判的ではないですよ。)
大学生の時、恩師に「他人に厳しい社会では、犯罪が増える」という話を聞きました。(ソースは定かではないんですが)
できてないこと、ダメなところ、足りないところを探してしまうと、不平不満がたまります。
どこに目を向けるかは、あなた自身に選択権があるんです。
田村淳さんは全ての受験を終えて、今まで言ってなかった思いをまとめていました。
受験を終えて巨大メディアによって拡散されてしまった間違った情報は、今からどう足掻いても取り消せないのですが…
せめて自分の想いを誰にも曲げられずに書きたいなと思いました。140文字では収まらなかったので添付した写真にまとめてみました。少し長いですが興味のある方は読んでみて下さい。
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— 田村淳 (@atsushilonboo) 2018年3月5日
私は、大人が学ぶ姿って、本当に素晴らしいと思います。
もちろん、子どものころからずっと学び続けてきた人も素晴らしい。
いろんな人生があるけれど、
「学ぶ」とか
「何か新しいことを知ること」というのは喜びだと思います。
タイミングはいろいろありますけどね。
先日も、講師として行かせて頂いている看護学校で卒業式がありました。
学生さんには私と同年代だったり、もっともっと年上の方もたくさんいらっしゃって、
仕事や家庭、家族の介護などに携わりながらの通学・勉強で、本当に頭が下がる思いですし、
私の方がいろいろ教えて頂いて勉強になりました。
学ぶって、
新しいこと、今まで知らなかったことを知るって、
どんなことでもやはり素晴らしいことなので、
子どもたちにも身近な大人が学んでいるのを見る機会がたくさんあるといいなと思います。
自分の人生を
批判に浸らせたいのか?
自分が温かくなることに浸らせたいのか?
自分で選べるということを知って、自分を少しでも好きでいられる方を選べたらなと思います。
まとめ
なんだか、うまくまとまらなかったけど、
私自身は批判が全く無いというのも怖いことだと思っているので、どんな意見も意見があるのは素晴らしいと思います。
そんな中で自分が選ぶとしたら、少しでも笑顔が増えることばを使っていきたいな、と思っています。
そんなすんなりいかないときもありますけどね。
今日も読んでいただきありがとうございます。