【自分軸が無くていつもフラフラします】
自分って言うものがなくて、自信がないし、グラグラします。子どもについても、何をやっていいのかわからなくて…。
そういう相談を時々受ける。
自分軸か…。
私、そんなのないからなー。
なくてもいいし、生きられるよー!
ってか、自分軸が無いのが自分軸かもしれんしなー。
とか思いながら話を聞く。
こういう相談される方の気持ちもなんとなくわかるような気がする。
「自分って、なんだ?!」っていうのを考え続けた中学・高校・大学時代。
それはもう!生きづらかった。
自分が自分で、ものすっごいストレスだった。
外に見せる部分だけ取り繕っている自分を、責めたり、諦めたり、嫌になったり…。
自分の考えとか無くて、でもちゃんとしてるって思われたくて、常に地上から3cmくらい浮いてる感じ。
カウンセリングの仕事でも、うまくいかないこといっぱいあった。
いや、うまくいかないことだらけだった。
(今でも最短・最適な道のりではないからうまくいってるとは言い難いんだけど…)
家庭教師でも
私が関わらなければその子はもっと良い出会いがあってもっと人生の大切な時間を効率よく過ごせたかもしれん!!
って考えて、落ち込むことがたくさんあった。
そのたびに、自分をちゃんと持ちたいと思った。
つまり、
「自分軸が無い!!」
って、
「自分はこれ!って自信が欲しい!!」
ってことだった。
自信があれば、
そう思ってた。
つまりは、いつも同じくらいのどっしり感で信頼されたいのか…。
頼られたいけど、頼られた時の責任の重さに耐えられなくて、それが怖くて、怖がってる自分もイヤで…ってことか。
つまりは、
ってことだな。
「自分軸が無い!」って自分に対して「自信」のようなものを感じられなくって、
自分を「好きじゃない」「好きな自分が少ない」ってことだったのかもしれない…。
でも、ある時
「私が伝えてること、伝えたいと思うこと」
と
「伝えてる自分自身」
とを分けることにした。
私は、「伝えてる自分自身」には全く全然さっぱり自信なんてものはない。
ほんとに驚くほど自信なんかない。
だけど、「私が伝えてること、伝えたいと思うこと」は、
良いものだし、私が考えたことじゃないし、信頼してる!
むしろ、信頼できるものを残してる。
私が考えてないから逆に安心!(笑)
そしたらね、私が自分に自信があるとかないとか関係なくて、
「私が伝えてること、伝えたいと思うこと」をただ真面目にやってくしかないという結論に至りました。
自信を自分にもってくることをやめました。
他信することにして、
「良い!」と思ったものをただ真面目にやってくことにしました。
私は、自分軸はちょっと難しいから、
他人の考え方を借りて他人軸で生きてます。
それを組み合わせたものを「自分軸」というなら、ほとんどの人はもう持ってるんじゃないかな?
「無い無い!」って思ってるだけで、
案外こだわりとかあるし。
まずは、
どうしたらいいかわからない
と
自分に自信がない
を分けてみたらどうだろう??
「わからない」はけっしてだめな状態ではなくて、
「あとは知るだけ!」っていうスタンバイな状態。
なのに、そこに「わからない自分はダメだ。つまり自信が無い。」とか変な自虐的性格帰属論を持ってくるからわけがわからんことになる。
事実と想像、結果と性格を分けて考えて!
ほとんどのことは、
で出来てる。
だから、知らないなら知ればいい。
良いと思ったものを借りて、やってみたらいい。
それだけ。
「自分軸はどこだ?」って探すの不毛だよ。
他人の考え方とか軸とかたくさん借りて、それを自分で組み合わせるのが自分軸だもん。
どういう組み合わせにするかは人によって違うでしょ?
それをきっと「自分軸」と呼んだり「自信」と呼んだりするんだと思う。
考えてるだけじゃなくて、何かをやってみよう!
やってうまくいったら残す。
これはすぐできると思う。
やってうまくいかなかったら、それは失敗ではなくて、
たまたま合わなかったやつだから、合わなかったってことを覚えとく。
また条件変えてみたらうまくいくかもしれない。
とにかく、性格とは関係ない。
もう、そういう短絡思考やめよう。
生産性ゼロだから。
今日も読んでいただきありがとうございます。