どんな人でも、たいてい自分を基準として物事を見ている。
こんなことないかしら?
人のやることにいちいち腹が立ちやすい人の中には、実は自己肯定感が低い人がいて、
(本当は自己肯定感ではないけれど、わかりやすく自己肯定感ということばを使ってみる)
そういう自己肯定感が低い人は、自分ができることはすごく当たり前で、誰でも出来ることだと思っている。
で、そういう自己肯定感が低いんだけど仕事のスキルはまあまあ持ってる人、が結構厄介だったりする。
そうすると、
自分でさえできるんだから(誰でもできるようなことなのに)あなたができないのはおかしい。
なんて変な理屈で責めてくることがある。
自分以外の人間は全て他人。
子どもや親でさえも。
ましてや、配偶者を始めその他の人は、もっと他人だし文化も違う。
だったらできなかったり知らなかったりするのは、ごくごく当たり前のことだったりする。
そういう「うっかりハラスメント」みたいなことを私もやっていると思う。
だから、「できない」「どうしたらいい?」って聞いてもらえたら本当に助かる。
みんなが全部できるわけじゃないから、お互いの「できる」でお互い補い合っていったらそれでいいんじゃないかと思う。
そしたら、「私これできるよ」と同じくらい「私これできないよ」も大切な声だと思う。
「代わりにやろうか?」もあってもいいし、「他のやり方ないかな?」もあっていい。
もしかしたら、やろうとしていることの本質はそこじゃないかもしれない。
「このくらいわかるよね?」は幻想なんじゃないだろうか。
子どもに対してもそう。
「昔の自分はこのくらいやってた」は結構危険。
わたしと子どもは他人なんだ。
わかってはいるけどね。
時々忘れそうになって、「いやいや、違う違う。この子はこの子の時間を、人生を生きている。」
手伝いはできるけど、代わってはやれない。
無造作に入れられたお好みソースにイラッとしつつ、そんな風に思った昼下がりでした。
(その後息子を呼び止めて 「これさ~。どうしたらいいと思う??」とやり直してもらいました)
今日も読んでいただきありがとうございます。